王者の憂鬱 |
「あ」 乾は立ち止まった。少し離れて隣を歩いていた海堂も、それにつられて立ち止まる。 「や。今帰り?」 不二は口を開けて呆然としている乾を見て、柔和な笑みを浮かべた。背を預けていた校門から離れ、乾と海堂の間に収まる。丁度人一人分のスペースがあった。 「お前、まだ帰ってなかったのか…」 「うん。だから、一緒してもいい、海堂?」 乾はもう少しで舌打ちしそうになった。海堂が不二の言うことに逆らえるわけがない。たとえ依頼の形を取っていても、それは強制に等しい。まして相手が不二ならなおさらだ。 「別に、俺は構わないっス」 「そう。じゃあいいよね、乾」 「……ああ」 乾は大変不服ではあるが、海堂の手前、不二の同行を認めた。先ほどより、海堂が遠くに感じる。 三人は静かに歩いた。時折不二が海堂に話を振るが、海堂はあまり話をする質ではないから、会話はたいていすぐ途切れる。それでも不二は満足そうに笑っている。 乾はそれをぼんやりと見ていた。会話があまりに早く終わるので、口を挟む間もない。不二がわざとそうしている節もある。 そんな風に歩いていると、少し大きな通りに出た。ここから海堂は住宅地の方へ、乾は駅前の方へ別れる。不二も、海堂とは違う住所だが住宅地方面へ行った方が近い。 「あ、海堂はそっち?」 「先輩もじゃないんスか?」 「僕、今日は駅ビルに用があるからこっち。じゃあね」 「あ、はい…じゃあ」 不二は乾を伴って駅前へ歩き出した。乾はその強引な仕草に逆らえず、海堂に声をかけることもできなかった。海堂は二人に軽く会釈し、背を向けて行ってしまった。 不二は駅ビル内のファーストフード店に入り、ドリンクを買って席に向かった。先に座っていた乾にコーラを渡し、向かい側の席に座る。 「そんなにふて腐れないでよ、乾。まるで僕がいじめたみたいじゃない」 「…ふて腐れてなんかないよ」 「いじめてるっていうのは否定しないんだ」 「………」 乾は顔を上げて不二を見た。バニラシェイクをすする彼は本当は楽しそうだ。それが、少し憎たらしい。 「言っとくけど、これおごりじゃないからね」 「お前は容赦ないな…」 「何で?おごるなんて言ってないし」 乾は深いため息をついた。 去年の春に出会って、1年が経った。この1年間、ほとんど毎日部活で海堂を見てきた。飽くことなくテニスに打ち込む彼に、最初はただ感心していただけだった。それが特別なものに変わったのは、彼を見るようになってわりとすぐだった。 それから乾は多大な努力を払って海堂と親しんだ。思っていたよりも強い気持ちが自然とそうさせた。だが、背が高い乾は無意識のうちに海堂に警戒心を与えてしまったらしく、打ち解けてもらえるまでだいぶ時間がかかった。 それも最近ようやく報われてきたようで、海堂に練習メニューの作成を頼まれるまでになった。頼られている、というのが嬉しくて、レギュラー落ちしたというのに少し有頂天になっていた。 今日海堂と一緒に下校したのも、メニューについての質問に答えるためだったのだが、あの通り不二の突然の乱入でそれもうやむやになってしまった。 「何、そのため息。辛気くさいなぁ」 「…誰のせいで…」 不二の笑顔を睨みつける。だが不二は乾の視線など何でもないように、悠々とバニラシェイクを飲み干した。少し声を上げて、不二は笑った。 「誰のせいも何も。一緒に帰っていいって言ったのは海堂でしょ。僕に恨み言言うのはお門違い」 「…お前があんな風に言って断れる奴じゃないのはわかってるだろう?」 「さあね。でも海堂は、本当に嫌なときは誰に対してもハッキリ言うと思うよ。…どうでもいいんじゃない、ひょっとして」 「どういうことだ」 「二人で何をコソコソ話すつもりだったのか知らないけど、それは海堂にとってどうでもいいことなんじゃないか、って思っただけ。君だけなんじゃないの、二人でいることにこだわってるの」 不二の言葉が耳に痛い。以前から何度も思い浮かべては消してきた考えを鋭く呼び覚ます。 こんな気持ち、歓迎されたものではない。だからせめていい先輩であろうと海堂に接してきたけど、今日みたいに二人でいる時間を持とうとあがいたりもする。 自分の意志の弱さに腹が立つ。海堂のことを考えているつもりで、結局自分の欲丸出しな自分がありありと目に浮かぶ。 「……そうかもな。俺だって、お前に言われなくてもわかってるつもりだよ」 これ、ジュース代、とテーブルに小銭を置いて、乾は席を立った。テニスバッグを背負った背中は、暗澹としていた。不二はそれを黙って見送った。 乾がレギュラーから落ちたとき、不二は少なからずショックを受けた。しかも後輩に負けたというのが、とても信じられなかった。 普段は隠しているが、実はとても上昇志向がきつく、誰よりも上に立とうとする意志が強い乾。だから1年の頃から手塚や不二に何度も挑み続けていたのに。いつも挑んでくる乾を、不二はどんな挑戦者よりも手厚く迎えていたのに。 乾は不二と争える場から姿を消した。レギュラーとそうでない者の練習はたいてい別れている。ミニゲームで対戦することも滅多にないし、あったとしても、乾は不二を選ぶことはない。 自分自身に向ける力以外の全てを、海堂に注ぐ乾。それは以前からそうだったのだろうが、今はそれがますます顕著になっている。甲斐甲斐しく練習メニューを組んでやり、幾度となくアドバイスを与え、海堂が望む通りに動く。 それは決して不二には向けられることのないもの。今でも乾は頂点に立とうと、真っ直ぐ不二を見つめている。不二を通り越して、その遙か上にあって影も見えない頂点を。 不二ももちろんそれを見ている。だがなんとなくそこへの遠大な距離を測り取ってしまった不二には、乾や海堂のように見つめ続けることはできない。呆然として、途中で座り込んでいるばかりだ。 「…僕も同じなんだよ、乾」 空の紙コップと、まだコーラがたっぷり残っている紙コップを持って、不二は席を立った。どちらもゴミ箱に捨てて、店を出る。 乾に声をかけなかったのは、断られるのが目に見えていたからだった。さっきの乾のように、自分だけが蚊帳の外にいるのは嫌だった。 「でも、僕の方が少しずるいな」 不二は笑おうとしたが、自分一人では自嘲さえできない。口を真っ直ぐに閉じて、うつむいた。駅ビルに用はないので、店を出て真っ直ぐ家に向かった。 |
不二は何でも出来るために何に対しても報われないところがあると思います。 あったら、もえるなぁ…! |
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