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君は、いつも前を見ている。










無人の住宅街を、不二は一人で歩いていた。よく晴れた休日でも、朝早い今は音もまばらだ。体にまとわりつくような熱気も、おかげで少しは和らいでいる。

静かな一本道を、不二はゆっくりと歩いた。去年までは準備などで集合時間の20分前には着くようにしていたが、3年になった今ではそんな必要もない。ただ、どうしても目が覚めてしまったから、こうして家を早めに出ただけだった。

試合がある度、不二の目覚めは早くなる。前日の夜は特に興奮もなく穏やかに眠れるが、朝はいつも激しい拍動を感じて起きる。思考は試合のことだけを追い、体は機敏に動く。

それは相手が強くなればなるほど、顕著になる。今日の相手は昨年全国制覇した立海大附属。この前見せられたビデオが、嫌でも目に浮かぶ。

間違いなく最強の相手。胸はいつになく高揚している。目覚めもいつもよりずっと早い。

だが不二は、この興奮をどこか覚めた目で見つめていた。それは緊張しないためのテクニックのようなものでもあり、全く別な理由からでもあった。

以前、これより張りつめた朝を迎えたことがある。不二はそう思って、道をことさらゆっくりと歩いた。










いくらゆっくり歩いても、足は確実に目的地に向かって動いているのだから、いつかは必ずそこにたどり着く。

いつも利用しているバス停に着いた。だが乗るバスはいつもとは違う。そのバスがまだ来ていない事を確かめて、不二はベンチに座った。まだ時間があることに、少し安堵する。時間は、丁度良いくらいだった。

バス停から少し行ったところに駅がある。バス停は緩やかな坂の上にあるので、不二の座っているベンチから駅前が一望できる。駅前と言っても、中途半端なスーパーがあるくらいで、特に目立ったところはない。街路樹や花壇が少し多いくらいだ。

その駅から、4,5人出てくるのが見えた。全員色やデザインは違うが、皆ジャージを着て、テニスバッグを背負っている。その中に不二と同じ青学のレギュラージャージの長身が見える。

4,5人は真っ直ぐバス停に向かっている。不二はそれを視界に入れ、右手を握りしめた。近付いてくる長身の人影が、あの記憶を呼び覚ます。

あの激しい鼓動。眩暈がするほど張りつめた空気。震える拳。汗をかくほど握りしめたラケット。

その影が坂を上りきったとき、不二は深いため息をついた。無言で隣に座った彼に、不二はいつもの笑顔で話しかけた。

「おはよう、乾」
「ああ、おはよう」

乾は眼鏡を押し上げ、あとは無言だった。










高鳴る鼓動。汗ばむ手のひら。










あれは確か、一昨年の10月。当時の3年生が引退してから、2度目のランキング戦。

不二と乾は同じブロックに配置された。前回のランキング戦では見事レギュラー入りを果たした二人が、当時の部長は気にくわなかった。

少しうまいからといって調子に乗っている1年生を叩くのに、丁度良い機会だとでも思ったのだろう。そんな態度がありありと見えた。そのくせ自分は部長なのに下級生に負けるのが怖いから、手塚を他のブロックに入れた。自分は、「まだ弱い1年生2人」がいるブロックに来た。

不二はそんな部長を軽蔑していた。だから本気を出して試合し、完勝した。不二はそのブロックを全勝で勝ち抜き、レギュラージャージを手にした。

部長は2位でレギュラーになった。不二に負けた彼は、絶望したように目を見開き、肩を落としていた。

各ブロックの上位2名がレギュラーになれる。例え先月勝ち残っていても、それは変わらない。そして部長はやはり上級生の中では一番強かった。

乾は初戦、部長との試合を落とした。それから必死で勝ち星を挙げたが、全勝の不二には追いつかない。最後の不二との試合で勝たなければ、レギュラーから落とされる。部長も、不二以外には圧倒的な強さを見せていた。

勝敗表を見つめる真剣な眼差し。不二の試合を一つも逃さず書き留める指。憑かれたようにノートを見つめている。

不二は乾以上に実力の差を感じていた。乾の全力の試合は何度か見たことがあるが、不二は一度しか見せていない。何より、その中ですら見せていないものもある。

乾もひょっとしたらそれに気付いているかも知れない。入部して間もない頃からかなりの実力を見せていた乾。強者の実力を感じ取るのも、きっと早い。

不二はノートを持つ乾の手を見た。表紙をきつく握りすぎて、手の甲に筋が浮いているのが、とても好ましいものに見えた。










ランキング戦最終日の朝、不二はいつもより2時間早く目が覚めた。瞼はなんとなく重いが、脳は活発に回転している。中枢神経が全身に指令を出す。

心臓を打て。目を見開け。汗を流せ。

学校についてもそれは止まらず、試合前から不二は大汗をかいていた。アップをする必要もないほど体はほぐれ、温かい。

乾は少し緊張しているのか、ランニングする足が少しぎこちない。力が入りすぎているのか、腕の振りも甘い。拳はきつく握られ、関節が白くなっていた。

漲りすぎた闘志。強張った体。眩暈を起こすほどの気迫。乾の強力すぎる願いが、グラウンド中に溢れている。

それに触れると不二の体も高揚した。だが乾のものとは違う、冷め切った胸の鼓動。

どうしても負けられない。飢えを満たしてやるわけにはいかない。限界まで痛めつけ、いつまでも自分の下に置かなくてはならない。不二は残酷なことをしていると思ったが、この気分をまた味わいたいがために、自らの望むまま動いた。

結果は、あっけなく出た。試合前からわかっていたことだ。コートを出て行く乾は、今までに見たことがないような目をしていた。白いラケットを握った右手は震え、肩で息をしていた。

不二の胸は高鳴り、やがて静かに音を潜めた。










バスが来ても二人は無言だった。お互いの体が発する空気が、言葉を掻き消す。

あれから何度もランキング戦を経験したが、あそこまで高ぶったことは一度もない。大事な試合を控えた今日も、あれには及ばない。

不二は乾を横目で見た。何も変わらないように見えるが、確実に何かを抱え込んだ表情をしている。今日の相手は、きっと何か勝たなければならない特別な理由でもあるのだろう。

それは不二に対するものより強いのだろうか。不二に向けたよりも強烈な願望よりも?

不二はベンチを立った。バスはもう来ていて、自分たちが乗るのを待っている。乾の正面に周り、行こうか、と声をかける。乾は無言で立ち上がった。手には、古い一冊のノート。

ああ、と不二は密かにため息をついた。細い息が唇から漏れる。気付かれないように、慌てて口元を隠した。

いつの間にか自分より先にバスに乗り込んだ乾を、不二はゆっくりと追った。広い背中は少し遠い。

乾は今、真っ直ぐ自分の戦う相手だけを見ている。それは不二ではない。いつかのような震えるほどのひたむきさは、不二から離れていった。

不二は乾の後の席に座った。そこから少しだけ見える肩と背中を、不二は見つめた。










君は後ろなんか見ない。

僕は君の前にはいないのに。












紛れもねぇシングルスプレイヤーな乾を目指して。
タイトルの英語は間違ってる可能性100%




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