二度と消せない















乾は手に持ったノートに何かを書き付けた。顔を上げ、再びコートを見る。

コート内には、白と青と赤でデザインされたジャージを着た選手が走り回っている。黄色のボールと緑のコートが調和し、完璧に整っているように見える。

その脇に、乾はいた。ラケットも持たず、ボールを追っているわけでもない。ノートと鉛筆を持って、ただ立っている。

コート内ではラリーが終わったらしく、選手が入れ替わった。向こう側で菊丸が飛び跳ねて喜んでいる。

「いぇーい、俺の勝っちー!!ざーんねんでした、海堂!」

こちら側の海堂は無言で唇を噛んでいた。心底悔しそうな顔だ。乾はそれを無表情で眺め、また何かノートに書き付けた。










部活が終わり、コートの片づけをしていた1年生も帰り、部室はほぼ無人になった。ただ一人、乾だけが椅子に座り、何かをノートに書き付けている。

無心に書き殴っている。それは今日の練習で得たデータなどではない。素早く動く鉛筆は自動書記のように、ある名前を書き続けている。

それを見つめる乾の目は、まるで何も見ていないようだった。

海堂はまだコートに残って練習している。多分他には誰も残っていないだろう。さっき菊丸と不二に誘われていたが、それには乗らなかったようだ。

当たり前だ。乾は唇を歪める。海堂が負けた相手と馴れ合うような真似をするはずがない。それは乾には身にしみてよく分かる。

自分から向かっていっても、逆に態度を硬化させるだけ。他人をただの敵としてしか見ていないから、敵から身を守ろうとする。まるで動物。

乾はまだ鉛筆で何かを書いている。ノートは黒鉛で黒ずみ、乾の右手にもそれは付着している。

それを見ると、乾は笑みを深くした。










初めて海堂と対戦したのは、去年だった。練習中のミニゲーム。乾は全く本気ではなかった。しかし、海堂はそうではない。レギュラー入りして初めての練習、気合いが入らないわけがない。

まだまだ下手くそな後輩。それなのに必死で乾のボールに食らいつく様子は、何だか微笑ましい。乾は確かに笑っていた。

結局海堂は負け、それ以来乾を敵と認めたようだ。ランキング戦でもことごとく負かされ、海堂の視線は憎悪に似たものを帯びるようになった。

それが本当にいじらしい。乾はそれを思い出して、また微笑んだ。

今期のランキング戦では乾が負け、レギュラーから脱落した。だがそれでも海堂の視線は揺るがない。

乾は字を書くのをやめた。右手が痺れるような痛みを発している。

確かに乾は海堂の敵になったはずだった。しかし海堂はさらに強い敵に打ち勝つために、乾に近付いた。相変わらず相手を噛み殺しそうな目をしたまま。

その瞬間、乾の顔から笑みは消えた。表面上は海堂の要求に従ったが、内心は今まで感じたことも無いようなものが現れていた。

決して触れられないからこそ、追い求める。決して得られないから、手に入れようともがく。すり寄ってきた獣には、もうそんな気分になれない。

だから乾は海堂をはねつける。メニューを渡し、その後は何の注意もしていない。他のレギュラーに接するのと同じように、通り一遍の指導しかしない。

乾はまた鉛筆を取った。










開いているページは既に真っ黒で書くところがない。だが乾の手は止まらない。

コートの海堂はまだボールを打っているんだろうか。部室に戻ってくる気配はない。乾はそれを待つわけでもなく待っている。

今にも牙を剥きそうな顔で傍にいる。乾はそれを犬か猫を可愛がる子供のような目で見ている。自分のつけた首輪に甘んじていながら、自分を殺そうと狙っている。

乾は一際大きい文字で黒いページに書いた。力を込めすぎて鉛筆の芯が折れる。

同じ文字を幾重にも重ねたページを破り捨て、乾はそれを無造作に置いた。側に置いた鞄から筆箱を取り出し、また鉛筆を握る。

ノートの上端からまた書き始める。それしかできないように、何度も書く。

海堂。

海堂。

海堂。

書くたび心が沸き立つ。身体中の血液が逆流して沸騰する。中心が爛れそうなほど熱くなり、逆に頭は痛いほど冷たく冴える。

このノートを見たら、海堂はなんて言うだろうか。乾はそれを思いつくだけ考えて、名前を書き付けた。

名前を呼んでも決して振り向かないひと。そのひとは乾を通り過ぎて遙か彼方を睨みつけている。一生かかっても追いつけないような遠く。

その背中はとても孤独で、でも強くて、乾はいつからか知れない頃から焦がれていた。今も必死で手をのばして縋っている。

どんなに名前をノートに書いても海堂に見られることはない。書きすぎて、何が書いてあるのか判別できなくなっているからだ。

それでも書かずにはいられない。あの射すような目を自分だけに向けて欲しい。

また一ページが埋まりそうになった。乾は眉をきつく寄せて、鉛筆を動かした。そうしていないと、体が勝手に動き出しそうで怖かった。













ダークな雰囲気を目指して玉砕。
これじゃ乾がただのやばい人だ…。




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